横浜の歴史

国際都市、みなと街としての横浜の歴史は幕末の「開国」と同時に始まります。
それまでの横浜は半農半漁の静かな村でした。開国当事は武蔵国久良岐(くらき)郡横浜村といって人家は100戸ほど。
現在の横浜市の中には東海道の宿場として神奈川・保土ヶ谷(程ヶ谷)・戸塚の3つがありましたが、横浜は街道から離れていたことも有り静かな村でした。
それが開港の場所に選ばれたのはやはりその田舎さがポイントだったのです。


ペリー来航日米和親条約

1854年、日米和親条約の調印式が現在開港資料館になっている場所で行われたのが横浜の全国的デビューでした。ペリーは江戸へ入りたい。幕府は浦賀か鎌倉で行いたい。両者の思惑の中間を取ったカタチで横浜が選ばれたのです。近くの神奈川でということにもなりかけましたが、日本人でにぎわう宿場ではトラブルが予想されるので寂れている横浜になりました。この時は横浜が開港されたわけではなく、調印式が済むとまたのどかな村に戻りました。

日米修好通商条約横浜開港

1859年7月1日、日米修好通商条約をうけて、ついに横浜は開港をします。この開港は陰暦6月2日にあたり、現在でも6月2日は開港記念日になっていて毎年開港祭が行われています。今回も神奈川でなく横浜になったのは日米和親条約調印のときと同じ、横浜がさびれていたのが第一の理由です。また地理的に国際港に適していたことも理由のひとつでした。

開港文明開化の象徴

横浜には外国人居留地が設けられ外国の商人が入り、ほぼ4年で完成した町並みになりましたが、外国人が増えるにつれて狭くなり、田や畑を埋めたてその範囲を広げていきました。それらの外国商人に使われる清国人も大勢やってきました。元々横浜村に住んでいた人々は開港場建設のため立ち退かされ、現在の元町付近に移住しました。
外国人居留地はクリークで仕切られ、その入口である橋のたもとには危険人物の出入りをチェックする関所が設けられました。ここから居留地側が関所の内側ということで「関内」の地名が生まれました。また、町を栄えさせるために幕府は江戸の有力商人に横浜への出店を命じ、その他からも商売人たちが続々とやってきていわゆる「横浜商人」と呼ばれるようになりました。そこで「日本で初めて」のものがたくさん生まれ、横浜は文明開化の象徴となったのです。その後も洋行、貿易の玄関口として日本最大の港の座を守りつづけました。

インフラ

ガス灯・洋式水道・下水道・乗り合い馬車・街路樹・洋式公園・電信・鉄道・ホテル・外国郵便・西洋歯科医・近代病院

生活

国産石けん・散髪店(マゲを作るのは結髪)・写真店・洋書の仕入れ販売・マッチ・貸し自転車・クリーニング

文化
スポーツ

洋式競馬・日刊新聞・映画の封切り・ボートレース・国産オルガン・外人劇場(外国の演劇を上演する)・和英辞書・テニス・野球公式試合・ナイター設備のある野球場(第2次大戦後)・ミッションスクール

食べ物

アイスクリーム・食肉処理場・牛鍋屋・牛乳店・西洋野菜・ビヤホール・レストラン・カフェ

 
 

二度のダメージから復興へ

横浜の歴史の中で大きなダメージが二つあります。一つは関東大震災、もう一つは第二次世界大戦です。関東大震災では全世帯の95%にあたる世帯が被害を受けました。

 

また、第二次世界大戦では横浜大空襲もあり被害戸数は10万戸(全世帯の48.5%)と言われています。さらに戦後は中心部である中区の74%、港湾施設の90%が占領軍に接収され、復興が遅れました。その間隙を縫って横浜駅周辺が発達していきました。また、占領軍の娯楽施設やその後残された米軍キャンプなどの影響で独特のバタ臭い街や風俗が残りました。 横浜の独特のイメージは開港から戦前の「古き良き外国文化」と戦後の「米軍、船員によるアメリカっぽさ」が微妙にミックスされてできたものではないでしょうか?

そして新たな国際都市へ

高度経済成長以降の急激な人口増加によるベッドタウン化や道路、公園、文化施設などの都市基盤整備の遅れ、市域の一体制に欠けるなどの問題を解決すべく、みなとみらい21事業が進行中です。横浜駅と関内周辺に二分された都心部をmm21地区により一体化し、その部分を企業、商業、文化、憩い、国際交流機能、港湾の管理機能をまとめて国際都市、首都機能の受け皿として横浜の新しい顔を作っていくのがみなとみらい地区なのです。

 

馬車道
居留地に住む外国人が公務のために江戸と行き来をするときに馬車で通れるような道を、と要請してできたもの。ここを民間人が利用する乗り合い馬車も走った。

山手
居留地がいっぱいになったため、追加で居留地になった。湿気の多い海辺より、小高い丘が入り組んで見晴らしが良いので外国人が好んで住んだ。そのころの住まいが「山手西洋館」となっている。関東大震災で崩壊したものも多いが、その後建て直されて現在に至る。横浜市により第一種高度地区(高さ十メートル)に指定されている。

山下公園
関東大震災の瓦礫で海を埋め立てて作られた日本最初の都市臨海公園。1990年にリニューアルされた。2002年には大桟橋、mm21地区までが「みなとの景観を楽しめるビュースポット」としてさらに生まれ変わる。

氷川丸
シアトル航路就航の豪華客船から戦後の引き揚げ線まで長い間現役として活躍した。第二次大戦で唯一沈められなかった大型客船。

中華街
開港時に欧米人が連れてきた清国人が作った街。大正から昭和にかけて料理店が増加し、今日に至っている。日清戦争、大震災、横浜大空襲などですたれかかったが、戦後、街の中央に「中華街」という額のかかった朱ぬりの牌楼門(ぱいろうもん)が建てられ、建物も極彩色の店構えを工夫し、異国情緒豊かな街として復興した。

赤レンガ倉庫
横浜最古の倉庫。埠頭に直接乗り入れる鉄道のあとは汽車道として残っている。横浜の港湾施設の象徴。2002年赤レンガパークとしてリニューアルされる。1号倉庫は演劇やコンサートなどの文化活動ができる空間に、2号倉庫はレストランなど商業施設が入り、倉庫間はイベント広場として利用される予定。

 
 
 

横浜市
横浜開港資料館
横浜市歴史博物館
生麦事件参考館
横浜マリタイムミュージアム
山手資料館